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日記だとか文学音楽に関してだとか創作物の断片だとかです。
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太宰を思う
きりぎりす
きりぎりす
太宰 治

(↑初めて使った機能なのに、本の画像が無くてがっかり)


堂々、袴をはいて出席し、大演説、などといきり立ってみるのだが、私は、駄目だ。人に迷惑を掛けている。善い作品を書いていない。みんな、ごまかしだ。不正直だ。卑屈だ。嘘つきだ。好色だ。弱虫だ。神の審判の台に立つ迄も無く、私は、つねに、しどろもどろだ。告白する。私は、やっぱり袴をはきたかったのである。大演説なぞと、いきり立ち、天地もゆらぐ程の空想に、ひとりで胸を轟かせ、はっと醒めては自身の虫けらを知り、頸をちぢめて消えも入りたく思うのだが、またむくむくと、せめて袴くらいは、と思う。俗世のみれんを捨て切れないのである。どうせ出るなら、袴をはいて、きちんとして、私は歯が欠けて醜いから、なるべく笑わず、いつもきゅっと口を引き締め、そうして皆に、はっきりした言葉で御無沙汰のお詫びをしよう。すると、或いは故郷の人も、辻馬の末弟、噂に聞いていたよりは、ちゃんとしているでは無いかと、ひょっとしたら、そう思ってくれるかもわからない。出よう。やっぱり、袴をはいて出よう。そうして皆に、はきはきした口調で挨拶して、末席につつましく控えていたら、私は、きっと評判がよくて、話がそれからそれへと伝わり、二百里離れた故郷の町までも幽かに響いて、病身の老母を、静かに笑わせることが、出来るのである。絶好のチャンスでは無いか。行こう、袴をはいて行こうと、またまた私は、胸が張り裂けるばかりに、いきり立つのだ。捨て切れないのである。ふるさとを、私をあんなに嘲ったふるさとを、私は捨て切れないで居るのである。病気がなおって、四年このかた、私の思いは一つであって、いよいよ熾烈になるばかりであったのである。私も、所詮は心の隅で、衣錦還郷というものを思っていたのだ。私は、ふるさとを愛している。私は、ふるさとの人、すべてを愛している!

(引用者注:こんな風にいきり立って参加した会にて、大失態を犯す。)

私は、その夜、やっとわかった。私は、出世する型では無いのである。諦めなければならぬ。衣錦還郷のあこがれを、此の際はっきり思い切らなければならぬ。人間至るところに青山、と気をゆったり持って落ちかなければならぬ。私は一生、路傍の辻音楽師で終わるかも知れぬ。馬鹿な、頑迷のこの音楽を、聞きたい人だけは聞くがよい。芸術は、命令することが、できぬ。芸術は、権力を得ると同時に、死滅する。

             太宰 治 「善三を想う」より


しかしやはり、このひとの文章は、いつ読んでも痺れる。読み出すとすぐに、数分もしないうちに胸倉掴まれ持っていかれる。テクニックも論理性も言葉に対するセンスもずば抜けている。もちろんそれらが必須であるというわけではないのだが、それでもやはり素晴らしいものは素晴らしい。まあ今更と言えば今更なのだけれども、たまにはこういうことを言いたくなる。その文章のいたるところから、思想というものは、ことばというものそれ自体の力で成り立つのだ、という強い信念が感じられる。

誰かを喜ばせること、「世間様」に恥ずかしくない生き方を見せられること、恐らくは「自分とまわりの皆が笑顔で過ごすことが出来る美しい世界」を、捨てなければ進めないと分かっていながら捨てきれない、そんな自分を痛いほど理解しながら、それでも、という悲しい台詞の数々。その後に来る、恐らくは数万回目であろう諦めの台詞との対比。鮮やか。このひとは、死ぬまで苦しむんだろうなあと思わされる。諦めねばならない、でも、それでも、いつかは。

人生を、「限定されたもの」として捉えられない人間の悲劇。

まあ、わたしもなんだけれど。

   ***

大学生のころ、「太宰っぽい」言葉を言い合って遊ぶ相手がいた。上にもある「芸術は命令することができぬ」とか「結論づけることは馬鹿のすることだ」とかそんな感じ。いろいろなことを語り合って、要所要所でそれっぽい言葉を持ち出して大爆笑。そんな彼もいまや子持ち。時間はすべてを押し流しつつただ流れ行く。人生とはかくも不思議なもの。ふむ。

   ***

というようなことを、下に引用する文章を、もう長く使っているPCの奥の方から発掘して思った。日付は2001年。随分昔のことのように思える。

   ***

それにしても、と思う。諦められないならば、別のものに頼ってみることだってできたのだ。彼の自殺については、「人間失格」を書きやるべきことをやって死んだ、青春作家としては仕方の無いことだった、などと言われることがあるが、そんな訳は無い。思想によって死んだだって? 馬鹿げてる。「それさえ一つ書いたら死んでもいいなんて、そんな傑作は、あるもんじゃない。作家は、歩くように、いつでも仕事をしていなければならぬ(「風の便り」より)」などと言うことができる人間は、当然ながら、自殺してはならない。

太宰さんよ、例えば、「長い時間」というもの、その力と可能性に頼ってみても良かったんじゃないか? とにかくなんとか長らえて、そして120歳を迎えた朝にあなたは一体何を聞いただろう。あなたは、それについて考えてみはしなかったのだろうか。身体も動かず、目もほとんど見えず、皆の世話になりながら、そうして世界中のほとんどの人間(あるいは、全員?)が自分より年下となるその朝のことを、そんな風にして時間をかけてゆっくりと終わっていき、失われていくもののことを、そして、それでも最後に残るものたちのことを、あなたは考えなかったのだろうか? それらは、長い時間の後にしか決して理解することのできないものだ。「若い」あなたがいくら考えようとも及びもつかないものであるはずだ。世の中にはそんなものが確かに存在するし、だからこそあなたは、何をも恐れる必要はなかったんだ。

何度も言うけれど、あなたは自殺するべきじゃなかった。言い訳は聞かんよ。だってあなたは、自分が生きなければならなかったことを、誰よりも知ってたんだろう、太宰さんよ。
| なつき | 読書 | 19:30 | comments(2) | trackbacks(0) |
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