わたしは自転車に乗っていた。といっても運転しているわけではない。運転しているのはナオで、わたしは後ろからその肩に手をかけ、足を後輪の中心にある金具に乗せて立っていた。ときどきナオの首を絞める真似なんかをして「あぶねえ!」と怒られたりしながら、そんな感じで走っていた。
ふと気づくとわたしはセーラー服、ナオは学生服を着ていて、それはわたしたちが出会った中学生の頃の装いそのままだ。しかし不思議にわたしはその時自分が高校生であるように思えた。実際そのようだった。それでいて35歳の今にもっている記憶もすべてある。
ナオは中学三年から高校生にかけてのわたしの一番の男友達で、うっかりすると見とれてしまうくらい見事に整った顔だちをしていて、それは女子生徒の間に有力なファンクラブがあるくらいのものだった。それなのにナオは、とてもじゃないけど整っているとは言いがたい外見だという恐らくはそれなりに正確な自己認識を持つわたしをしげしげと見つめ、「おまえはほんとにかわいいな」とよく言った(わたしはそのたびに目もしくは脳のどこかが深刻にわるいんじゃないだろうかと少し心配した)。いつも一緒に笑い転げていた記憶はあるが当然のごとくその内容はほとんど覚えていない。旅行に行ってきたんだと言ってはお土産をくれた(だいたいが食べ物で美味しかった)。誕生日には大量の31アイスクリームをくれた(冷凍庫に入れるのに苦労した)。食べ物で釣れると思われていた感はある。
すぐに、頭に浮かんだ「言わなくてはならないこと」を言う。
「わたし未来から来たの」
「へえ?」間抜けな声だ。
「ほんと」
「いつの?」吹き出したよこのひと。
「わたしたち35歳になってるころ」
「へえ」笑っている。
「じゃあさ、俺どこの大学にいくことになんの?」
「大学はねえ、ナオはA大、CはB大、I子は専門学校。Y子とKは高卒で働いて、わたしはC大」
「……」
「……」
「俺A大受けるつもりなのまだ言ってないよな」
「うん」
「まじか」
「うん」
しばらくの沈黙。自転車はわたしたちに心地よい風を生み出しつつ同じ速度で走る。
「じゃあさ」
「うん?」
「35んなっても俺らやっぱりつるんで遊んでるわけ?」ナオはちょっと振り返りわたしに聞いた。目を細めているのは見慣れた仕草だ。
わたしはそれには答えなかった。
ナオ。大学を出てまもなく、わたしはある理由で君との関係を断ってしまうことになる。わたしは今35歳で、もうすぐ36歳になろうとしていて、君にはもう13年も会ってない。連絡先もわからない。ずいぶん前に、君が結婚してたことだけ耳にした。たぶん、似合いの綺麗な奥さんと幸せな家庭を築いてるんだろう。仕事は君ならなんだかんだ真面目にやってるだろうね。そういうところがかわいいってキャーキャー言われてたんだもんね。
さあ最後のひと言だ。
「ナオは『君は大丈夫』って言われなくても全然大丈夫なひとだってわかってるけど、それでも言うけどナオがずっと大丈夫なのわたしは知ってんだよね、だからわたしが保証するけどナオはずっと大丈夫」
言わなくてもいいと認識していることを回りくどく長々と。しかもそんなこと高校生の時のわたしだってわかってた。せっかく未来から来といて役立たずにも程度ってものがね。
ここでブラックアウト。時間切れ終了。
どうぞ現実へ。
***
夏目漱石「夢十夜」オマージュ第二弾。
なので別にこんな夢は見ておらず創作なのだけれど、ナオくんの設定はそれなりに現実に即している。「うっかりすると見とれてしまうくらい見事に整った顔のひと」に、「ほんとにかわいいな」などと言われるなどわたしの人生においてそれがおそらく唯一のケースであろうし、そう考えるとずいぶんとありがたい、貴重な体験をしたものである。南無南無。
いまわたしは、彼の目もしくは脳のどこかが当時と比べてより深刻にわるくなっていないことを少し祈っているものの、彼の幸せに関しては、わたしが祈っても祈らなくてもほとんど影響はないだろうと思っている。心配はしていない。
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