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日記だとか文学音楽に関してだとか創作物の断片だとかです。
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自分のための覚え書き
「ぼくは子どもの頃からずっと一人で生きてきたようなものだった。家には両親とお姉さんがいたけど、誰のことも好きにはなれなかった。家族の誰とも気持ちが通じあわなかったんだ。だからよく自分のことをもらい子じゃないかって想像したものだった。事情があって、どこか遠くの親戚からもらわれてきたんじゃないかって。
(中略)
いずれにせよ、ぼくは自分がその家族たちと血がつながっているということが、うまくのみこめなかったんだ。それよりはむしろこの人たちはまったくの赤の他人だと思った方が、ぼくにとってはらくだったな。
(中略)
なにか困ったことがあっても、誰かに相談なんかしなかった。一人で考えて、結論を出して、一人で行動した。でもとくにさびしいとも思わなかった。そういうのが当たり前だと思っていたんだ。人間というものは、結局のところ一人で生きていくしかないものなんだって。

 しかし大学生のときに、ぼくはその友だちと出会って、それからは少し違う考え方をするようになった。長いあいだ一人でものを考えていると、結局のところ一人ぶんの考え方しかできなくなるんだということが、ぼくにもわかってきた。ひとりぼっちであるというのは、ときとして、ものすごくさびしいことなんだって思うようになった。
 ひとりぼっちでいるというのは、雨降りの夕方に、大きな河の河口に立って、たくさんの水が海に流れこんでいくのをいつまでも眺めているときのような気持ちだ。雨降りの夕方に、大きな河の河口に立って、水が海に流れ込んでいくのを眺めたことはある?」
 にんじんは答えなかった。
「ぼくはある」とぼくは言った。
 にんじんはきちんと目を開けてぼくの顔を見ていた。
「たくさんの河の水がたくさんの海の水と混じりあっていくのを見ているのが、どうしてそんなにさびしいのか、ぼくにはよくわからない。でも本当にそうなんだ。君も一度見てみるといいよ」

村上春樹「スプートニクの恋人」より


 実家に帰るたびに、この本のこのフレーズが頭に浮かぶ。どうして同じ家族で、こんなにも違うんだろう? 少しの絶望と慣れっこになった諦めを抱えてわたしはいつも、家族の中で一人黙り込んでしまう。好きじゃないわけじゃない。でも、それにしても、同じ家族であるというのに、あまりにもいろいろなものが違いすぎる。

    ***

 ある友人が、以前わたしに、俺は未だに自分の親のことを受け入れることができないんだ、と言った。衣食住以外の何か、自分が自分の中で暖め続けることで、その後の人生を明るく照らす行動指針となるような何か、そんなものを何一つ与えてくれなかった自分の親のことを、どうしても責めずには居られない(もちろん、心の中だけで)とのことだった。
 彼からその話を聞いたときは少し驚いた。彼はとても冷静で合理的で合目的的な考え方をする人間で、そんな彼が、まさかそんな風に解決できない想いを家族に対してずっと抱えていたなんてことを、わたしは思ってもみなかったから。彼の両親のことは彼から時々聞いていたものの、彼は自分と家族とを、完全に切り離した存在として考えているものだとばかり思っていた。

「わたしは、できるだけ受け入れようと努力している。でも、あまりにも違いが大きすぎる。どうしてだろう? 親とは半分は遺伝子を共有しているはずなのに、どうしてこうも違うの?」というわたしの問いに彼がシンプルに答えて曰く、「時代だ」と。

 そのシンプルさに目からウロコが落ちた。そうか時代か。

 わたしはこの27年間、苦労しながらも今のわたしの人格をここまで作り上げてきたのだし、それゆえ、非常に不完全なものではあるものの、わたし自身の人格をそれなりに愛している。だからこそわたしは、自分の意識が続く限り、わたし自身、つまり、独立した自我を持つ独立した存在でありたいと思っている(とても年をとってからはまた話が別なんだけれど、それについてはまたいつか)。

 そう、こういう考え方自体、日本人にとってはとても新しいものなのだ。個人主義が日本に輸入されてから、まだいくらも経っていないんだから。個人が独立した自我を持つべきだ、そんな考え方を耳にしないまま生きてきた(もしくは、その台詞が自分の中にリアリティを持って響いてこないまま生きてきた)のがわたしたちの親の世代だ。戦後の混乱、戦後高度成長期。どちらもわたしはよくしらない。

 これについては、まだまだゆっくり考えてみるべき。
 
    ***

 以下、「子どもの名前」を例に挙げながら「ここ100年ほどの日本における個人と世界の関係の劇的な変遷」について書いた穂村弘のエッセイからの引用。細かい考察は完全に吹っ飛ばしてあるものの、非常に分かり易く面白く書かれていてとても良いと思う。
 彼の言うとおり、余りに短い時間で余りに多くのことが変わりすぎた。そして驚くべき事に、未だにわたしたちはその大きな変遷の真っ只中に居るのだ。


「怜央」「美佑」という名前の子供たち。これはこれで別世界だなあ、と思う。戦後の高度経済成長期に生まれ育った私たちの世代は、この「おきぬさん」「おくらさん」と「怜央」「美佑」の中間のどこかを占めている。私の同級生は、「正夫」くん、「直樹」くん、「幸子」ちゃん、「優子ちゃん」たちだった。
(中略)
「正夫」「幸子」から「怜央」「美佑」へという変化の背後には、戦後という時間の中で日本人の期待値が膨張してきた歴史を読みとることができる。親たちは、幸福で優しい子、というだけでは満足できなくなったのだ。

一方で、私は、子供の頃、友達と一緒に自分たちの祖父や祖母の名前を云い合う遊びをしたことを思い出す。(中略)なかでも飛び抜けて印象的だったのが幸子ちゃんのおばあさんの名前で、「う」というのだった。「うー?」「う?」「う、だけ?」「それでぜんぶ?」。わたしたちは興奮して叫んだ。
 今、改めて考えてみても、「う」という名前にはどのような願いが込められているのかよくわからない。「怜央」「美佑」からは親の願いのインフレ化やそれを支える時代背景を感じ取れたわけだが、私は「う」という名前に対しては得体の知れない怖さを感じる。名前に込められた願いがわからないということは、世界に対する働きかけの感覚が掴めないということであり、つまりはその時代の人間の心がみえないということだ。
 私は「う」という名付けの背後に、デパートもテレビもケーキも街灯もない世界を漠然と感じ取る。そこには私の知っているような次元での個人の願いはなく、ただ大きな闇が広がっているように感じてしまう。それは戦後民主主義的な感覚では測り難いものだと思う。かつての日本人はそうした闇の感覚を自然なものとして生きていたのだろうか。
(中略)
「う」から「幸子」を経て「怜央」という名付けの背後には、近代から戦後そして今という流れにおける世界とそれに対する個人の感覚の変化がある。それ自体の是非や近代や戦後をどう捉えて評価するかという大きな問題をひとまずおくとしても、まずは変化そのものの大きさを痛感せざるを得ない。余りにも短い時間のうちに、余りにも大きな変化が起こったという印象を持つ。

穂村弘 「もうおうちへかえりましょう」より

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