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日記だとか文学音楽に関してだとか創作物の断片だとかです。
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トモダチへ
 今日こっちは随分と蒸し暑くて、月並みな表現を使えば「サウナに入っているような」気分になったよ。僕は身体を動かして汗をかくのは好きなんだけど、サウナはあんまり好きじゃないから、つまりはこれは、僕なりの不快感の表明なんだ。サウナの何が苦手って、きっと僕は、同じ場所で、知らないひとと陰気な顔をつき合わせてじっとしているのが苦手なんだな。話すことと言ったら「熱いですね」そればっかりっていうあのサウナ独特のサウナ的雰囲気がさ。

 今日は昼からおじさんが遊びに来て、パパとママと僕と兄さんとでご飯を食べてから、色々な話をしたんだ。おじさんがついこの間まで遊びに行っていたイスラエルの話だとか、去年にみんなで一緒に行ったイタリアのことだとか、そういうことを。

 それで、夜も随分遅くなってから、家に帰っていくおじさんの車を家族全員で家の前で見送った。夜になってもあたりはやっぱり蒸し暑くて、いつもはなんの感情も呼び起こさない家の前の道も、今日はなんだか誰かがこっそり潜んでいるような気がした。誰か(もしくは、何か)のしめった息遣いを感じたような気がしたんだ。

 僕の家は、大きな道から、T字路になっている細い路地に50メートルほど入ったところにある。だから、僕の家に車で遊びにくるひとは、帰りに、細い道をずっと大きな道まで車をバックさせて出ていかなくちゃならない。そのT字路のちょうど角のところに電柱があって、車の運転が上手くないひとには結構な難所らしいんだ。僕はまだ免許を取れる年じゃないし、夢の中以外で車の運転をしたことはないから良く分からないんだけどね。ともかく僕たち家族は家の前に立って、大きな車を器用に扱い、T字路の向こうに消えていこうとしているおじさんをずっと見送ってた。

 そのときママがぽつりと言ったんだ。「あの角の電柱、Sさんは何度も車をぶつけてたわね」
 僕はママを見たけど、ママはずっと、既におじさんが居なくなった路地の先を見ていた。記憶を留めておく場所に底があるのなら、その底をまさぐっているのかもしれない、と僕は思った。
「Sさんよ。良くうちに遊びに来ていた。何度も、あの電柱に車をぶつけるのをこの場所から見たわ」
ママはそのまま、電柱のあたりにあるのだろう記憶の底から視線を外さずに言って、少し笑った。昔の自分がはらはらしながら見守る中で、まるで電柱に吸い寄せられるように接触してしまう車の映像を目の前に見ていたのかもしれない。
 そのママの言葉を聞いて、パパも「ああ、あいつのことか」と笑った。
「運転がとても下手だったから、かわいそうだったわね」ママは誰にともなく言った。「とても面白いひとだったわ。30歳になる前に、なんだかの病気で死んでしまったんだけれど。もう、20年以上前のことなのね」
 そう言ってママはようやく電柱から視線を外し、家の中に戻っていった。パパも兄さんも黙ってママのあとに続き、僕もそのまま、おじさんのイスラエルのお土産が散らばるリビングへと戻ることにした。

 今日あった出来事はそれだけだったんだ。でも、一体どうしてだか僕にはよく分からないんだけど、ただそれだけの出来事が、僕の心に妙にくっきりと残って、僕はその出来事から抜け出すことができないんだ。おじさんを見送ったあと僕は、おじさんの来訪の後片付けを手伝ってから一人部屋に戻って、パパとママが話してたSさんのことをずっと考えていた。

 どうしてだろう、「毎回電柱に車をこすってしまう」っていう行為が、なんだか僕に、彼のことを、ものすごく身近に感じさせたんだ。どうしてなんだろうってずっと考えてみたんだけれど、理由はやっぱり良く分からなかった。自分の感情の動きについてのことだっていうのに、ちっとも分からないんだ。僕はもちろん、Sさんのことは全然知らない。でも、なんだか、Sさんはみんなに好かれてるひとだったんだろうなって、何の理由もなしに思ったんだ。きっといつもニコニコと笑っていて、たまに若いパパと若いママが居るこの家にやってきて、時々は車を電柱にこすってしまいながら、自分の家に帰っていったんだろう。

 でももうSさんは死んでしまった。僕が生まれるのを待たずに、若くして、おそらくは苦しみながら死んでしまった。そう思うと僕はなんだか泣き出したい気持ちになった。ほんとうに突然、どうしようもなく悲しくなったんだ。僕が生まれるずっと前、もう20年も前に死んでしまったひと、当然会ったこともないひとに対してこんな気持ちになるなんて、とても不思議だった。でも僕は、Sさんが死んでしまったことがほんとうに悲しかったんだ。目を閉じると、まぶたの裏の暗闇のなかに、色んなひとがしずかに「世界」っていう器からこぼれ落ちていく様子が浮かんできた。素敵なひとが死んでいくことで、世界は少しだけ素敵な場所であることから遠ざかってしまうのかもしれないって思うと、僕はますます悲しくなった。

 もちろんその考え方は正しくない。世界は少しずつでも素敵な場所になっていっているって、そう思って努力すべきだし、僕だってなるべくそう思いながら努力してるつもりだ。もちろん、世界がほんとうに素敵な場所になっていっているかどうかに関わらず。
「死によって生は完成される」「死は、不完全な生を補完するものである」「だから、死を畏れる必要はない」っていう理屈だってわかってる。誰かが死ぬからこそ誰かが生まれるんだし、そんな風にしてこの世の中はもうずっと気が遠くなるくらい長い間成り立ってきたんだ。気の遠くなるくらい多くの生と、それとぴったり同じ数の死とを常に抱えながら。

 でも、Sさんが30歳になる前に死んでしまったことで、パパやママや僕がSさんに二度と会う事が出来ない、それもまた、どうしようもなくはっきりとした事実なんだ。誰にも動かし難い事実なんだ。僕がそれを悲しむことは変なことなんだろうか? 間違ったことなんだろうか? 素敵なSさんが死んでしまった代わりに、また別の素敵なひとがどこかで生まれてる。僕だってそう思いたい(それが僕じゃないことは、Sさんの素敵さを補うくらい僕が素敵じゃなかったことは、悲しいことなんだけど)。でもやっぱり僕は、パパとママの友達だったSさんが死んでしまったことが残念でならないんだ。とても悔しいし、とても悲しい。

 何度も書いているように自分でもとても不思議なんだけれど、多分僕は、誰かが僕の家の前からバックで車を運転し、あの電柱を避けながら大きな道に出ようとするたびにきっと、顔も知らないSさんのことを思い出し続けるんだろうと思う。ニコニコ笑いながら僕が生まれる前の僕の家にやってきて、車を電柱にこすって帰っていくSさんのことを。30歳になるかならないかの年で、この世界から静かにこぼれ落ちて行ってしまったSさんのことを。

 僕の中には、Sさんが何度も車をこすってしまった電柱みたいに、いろんな人が残していった思い出の断片みたいなものがごろごろとたくさん転がってるんだ。でも、僕は今そんな断片をたくさん持っているけれど、時間とともに、つまり、僕が大人になるとともに、それらの断片は僕の中から静かに消えていくかもしれないって思う。そう思うと僕はとても怖くなる。まるで、僕が僕じゃなくなってしまうみたいな感じがするんだ。
 君は、そんな風に何かを怖がったりしたことはある?

 なんだかとりとめもなく書いてしまったけど、それは君に対してだからなんだ。バカみたいな手紙だって、君以外の他のみんなはそう言うかもしれない。でも、君だけはそんな風に言わないって、僕は信じてる。

 愛をこめて


   ***

スティーヴン・チョボウスキー著『ウォールフラワー』へのオマージュ。「トモダチへ」で始まり「愛をこめて」で終わる数十通の手紙で構成される、15歳の男の子チャーリーの物語。

なお『ウォールフラワー』の内容はほぼ覚えていないので、そのうち再読してみようと思います。一粒で二度美味しい、ビバ物忘れ。
| なつき | 断片 | 02:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
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