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ロラン・バルト/恋愛のディスクール
引用。
抑圧。わたしは、分析し、知り、自分のものでない別の言語で表現したい。われとわが錯乱を描きだしたい。この身を分断し、切断しているものを、「正面からみすえたい」と思うのだ。「汝の狂気を理解せよ」、それが、分割された(たまごのように、ななかまどの実のように)アンドロギュノスの眼を当の分割点(腹)へ向けさせよう、「そうした分割のさまを見つけることで、彼らの傲慢をたわめよう」としたゼウスが、アポロンを通じて与えたという命令なのである。理解するとは、イメージを引き裂くこと、尊大な誤解の器官たるわたしを解体すること、ではないか。

Bへ。わたしはこの「われと我が錯乱」、を、なんとかして暗闇から引きずり出したい。太陽の下に晒して、仔細に観察してみたい。あなたのまえで。

言語とは肌なのだ。わたしはおのれの言語をあの人にすりつける。指のかわりに語を持つというか、語の先に指を持つというか。わたしの言語は欲望に打ち震えている。この動揺は、ある二重の接触から来ているのだ。一方では、ディスクール活動の全体が、慎重かつ間接的に、「わたしはあなたを欲している」というたったひとつの意味内容をとり上げ、解き放ち、これを涵養して繁茂させ、爆発させている(言語活動がわれとわが肉体に触れて楽しんでいる)。もう一方でわたしは、わたしの語の中にあの人をくるみ込んでいる。あの人を愛撫し、あの人に触れ、そうした接触を保ちつづけ、二人の関係に加える注釈を持続させようとして消耗しているのである。

そう言葉とは肌であり指なのだ。外界とわたしとあなたを隔てる唯一の布。なんと直接的になんとエロティックなのだろう、言葉とは。

JUGEMテーマ:読書
| なつき | 読書 | 09:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
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