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松浦理英子/セバスチャン
松浦理英子「セバスチャン」読了。松浦作品は、なんだか心にするすると入ってきて、好き。たとえそれが、同性愛やサディズム・マゾヒズムなどわたしの管轄外の分野を扱っていたとしても。

タイトルの「セバスチャン」については、松浦理英子本人が『聖セバスチャンの殉教図に塗り込められている、一種マゾヒスティック的な感性に対する共感がありました。ですから、あるマゾヒスティックな官能のあり方を描く時に、「セバスチャン」というタイトルをつけようという考えはあったと思います』『(聖セバスチャンの殉教図が)マゾヒズムということだけではなくて、ある同性愛的な屈折した感情のこもった絵である』と述べている。

そんなタイトルをつけるだけあって、この作品の中では、まず

?主人公の麻希子(マゾヒスト)と、傲慢で美しい背理という女性がサディズム‐マゾヒズム的関係を持っていたり(肉体的な欲望は無い)
?背理が過去に捨てた男と麻希子が肉体関係を持っていたり
?麻希子の友人の律子はレズビアンであったり
?麻希子の前に現れるマゾヒストの工也は肉体的コンプレックスを持っていたり(足が不自由)

などというように、サド‐マゾ関係や肉体関係・同性愛が多重構造的に連なっている。
「男は好き?」
「わからない。質問自体がわからない。」考え込みつつ麻希子は答えた。「私にとっては男も女もないのよ。自分を女だと思ったこともないし。私は単に世界にこぼれ落ちた無防備で無装飾の一個の肉体であって、世界に料理されることを待ち望んでいるだけだから。世界が男であろうと女であろうと関係ないの。私には、自分と自分にかかわって来る力があるだけなの。」
              松浦理英子 「セバスチャン」より

引用文を読んだとき、以前自分で書いた以下の文章を思い出した。以下、過去記事http://julyjuly.jugem.jp/?eid=252より一部を引用。
 わたしはとどまりたくない。閉じられた空間や閉じられた時間の中にとどまる気はない。わたしは拡張し溶け込みたいのだ。わたしは激しく求めている。その具体的な対象がわからない、それは滑稽といわざるをえないのだけれど。
わたしはとどまりたくはない。……いいえ、違う。わたしは見つけて、そして永遠にとどまりたいのだ。たとえば、耳が潰れてしまうような騒音の中に。あるいは、耳が潰れてしまうような静寂の中に。激しい痛みの中に。針で刺されるような孤独に。そして、自分の存在を完全にすりつぶされこっぱみじんにされてしまうほどの圧倒的な快感の中に。たとえば大きなすり鉢の中で。

 わたしは何にもなりたくなかった。でも世間はわたしに何かになることを求めた。そもそも世間とはただの幻だったのかもしれない。今となってはどうでもいいことだが。

麻希子も、拙文の主人公(仮にAとしましょう)も、「自分が何者か」であることそっちのけで(「自分が何者か」という根源的な問いなんてどうでもいいのだ)、『外部からの力』を強く欲しているところに共通点がある。ではその外部からの力とは何なのか? 果たして、他人がサディズム的に与えてくれるものなのだろうか?(麻希子に対する答えはそうなのかもしれない、Aにとっては何が答えになるだろうか)。松浦さんは麻希子を「(1981年当時の)新しい女性像」として描いている感がある。が、麻希子とA両者の「自己認識の薄さ」は、「前近代的女性」であると思ってしまうのは私だけ? それとも、これがいわゆる「マゾヒズム」なんだろうか。

なんだかよくまとまらないというかおそらく彼女の書いていることの本質が理解できていないような気がするのですがこのまま載せちゃう。そもそもサディズムとかマゾヒズムとか良く分かっていないので、今度澁澤さんでも読んでみましょうか。

---------

追記:えーっと上の文章だけでわかるかなって思って書かなかったのですがわたしには現状(おそらく今後もずっと)同性愛嗜好は微塵もありません。わたしにとって憧れの対象は(麻希子やAとは異なり)それに近づこうとして動いてしまう、それでもなおずっと遠い存在でありつづけるような、わたしがイメージするところの「男性的男性」なので。なお、ここで「男性的」という単語を使ってわたしが表したいものについての説明は省いてしまいますが、わたしにはその明確なイメージ(もしくはその「男性的男性」であるような人のイメージ)があって少なくともそれはわたしより筋肉があるとかそういうのとは関係ないです(最後いきなり投げやり)。

JUGEMテーマ:読書
| なつき | 読書 | 00:11 | comments(2) | trackbacks(0) |
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んー、なんかセバスチャンって、弱キャライメージです。僕ん中で。

戦争ドラマや映画なんかで『セバスチャン』ってのが出てきたら、「あぁ、こいつ15分後にはドジが原因で死んでるんだろうな」という、揺るがない確信を与えさせる。言わば死亡フラグ的な名前です。セバスチャン。

雄たけびを上げながら敵陣に真っ先に突っ込んでいく、、、そんなイメージから最も遠いです。セバスチャン。

そんなセバスチャンは嫌いじゃないです。

| いりー | 2008/12/06 2:07 AM |
……かわいそうなセバスチャン。名前がそれすなわち死亡フラグてどうなのかと思いますが、仕方ないですね。わたしもそんなセバスチャンが嫌いじゃないです。

ちなみにわたしにとってのセバスチャンは、素直に執事です。上品な髭を蓄えて紅茶を淹れてくれます。
| なつき | 2008/12/08 11:13 PM |









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